今日は上田敏雄の誕生日。
私は祖父母全員の誕生日を覚えている。
「あ、誕生日だ。」と想いだして過ぎさる。
自分が歳を重ねれば重ねるほど
祖父母の生き方に興味がでてきた。
全員長寿なので老い方も遠目で観た。
”生かされていることのありがたみ”を
日々感じながら心身とも健康に老衰したい。
祖父母からのDNAがあるから心強い。
何が書きたいのかな?つぶやいているだけです。
今日は、「おめでとう」のかわりに「ありがとう」。
おじいちゃんのおかげで、親族と連絡をとる
ことができました。
これからも見習って生きます。
2014年7月21日月曜日
2014年5月30日金曜日
鈴木大拙先生の”生きるということの芸術家”
上田敏雄は、宇部高等専門学校の校歌を作詞した頃を振り返ったエッセイの文中に、「たまたま当時、鈴木大拙先生のアメリカでのご講演で述べられているお考えからも、大いに触発されておりましたわけです。」と記している。
上田敏雄が禅、仏教思想について研究していたのは知っていたが、鈴木大拙氏のことは、この文を読んだ時に初めて知った。印象に残るのは、”生きるということの芸術家”という文句である。下記に引用する。
それにしても、上田敏雄は、
「貧者の一灯に点じる人生の芸術」の実体を作曲化せんとする人がいたこと自体、人生の持つ意
味を観念的に知りたいと思う人々にとって、喜ばしいことではないだろうか。
上田敏雄が禅、仏教思想について研究していたのは知っていたが、鈴木大拙氏のことは、この文を読んだ時に初めて知った。印象に残るのは、”生きるということの芸術家”という文句である。下記に引用する。
「我々はだれもが皆科学者たることは望み得ない。しかし人間たる以上誰でも芸術家であることを許されている。芸術家といっても、画家とか、彫刻家、音楽家、詩人というように特殊な芸術家を指して言うのではない。”生きているということの芸術家”(artist of life)なのである。”生きることの芸術家”などと言えば、一寸何か変にきこえるかもしれないが、実際のところ、我々は皆、”生きることの芸術家”として生れてきているわけである。ただ悲しいかな、我々のほとんどは、生きていることそのことがすごいARTであることを知らず、ついに、”人生、生きることの意味とはなんだろう” ”眼の前にあるものは無意味なタダの空虚ではないか”などとあさましい妄想にふけってはあたら一生を台なしにしてしまうのがオチです。」
いつもながらきびきびした先生の独断場であるジカに物の核心にせまる例の調子にあおられましたか、当時、小生も、「貧者の一灯に点じる人生の芸術」の実体を作曲化せんとする身の程知らずに、うつつを抜かしながら、焦心のうちに幾日かを過した苦い思い出があります。鈴木大拙という名は、他のエッセイ「歌のこころ」にも出てくる。
ご存知の鈴木大拙さんが、「禅というものは地獄の野っ原のただ中で、大の字に寝そべるようなものだ」といわれたという話があります。これはもちろん不貞腐されているわけでなく、禅と念仏とでは性分の合わぬところもあろうが、親らんの他力の教えにも、地獄をそのままで極楽に転換するという仕掛けができています。鈴木大拙氏の著作を読んでみたいと思う。
それにしても、上田敏雄は、
作者の力量不足のお蔭で、結局「点火失敗」の幕切れということになりましたものの、もしも上記の「灯の主題」の音楽化に、当時、成功していましたら、ジョン・ケージと前衛音楽賞をわけあう幸運が舞いこんだものをと、滑稽にも、今でもいちまつの心残りを棄て得ないのです。とエッセイをまとめており、おもしろい。
「貧者の一灯に点じる人生の芸術」の実体を作曲化せんとする人がいたこと自体、人生の持つ意
味を観念的に知りたいと思う人々にとって、喜ばしいことではないだろうか。
2014年3月30日日曜日
異次元の獅子へ
今日は
虎も馬も
獅子を想う
どびんごは
獅子に問う
どびんごは
渡り鳥?
ニワトリ?
自然鳥?
人工鳥?
人間神を
信仰すればよい
毎日毎日
食べて寝れれば
それがなにより
それが生きること
感謝しなさい
そう言った
鳥神様を
信じればよい
どびんごは
わからない
鳥神様のコトバも
人間神のコトバも
観念的に
生きる意味は
問わない
信じるものは
コトバではない
獅子ヨ
世界ヲ開ケ!
その瞬間
どびんごハ
感性デ飛ブ!
虎も馬も
獅子を想う
どびんごは
獅子に問う
どびんごは
渡り鳥?
ニワトリ?
自然鳥?
人工鳥?
人間神を
信仰すればよい
毎日毎日
食べて寝れれば
それがなにより
それが生きること
感謝しなさい
そう言った
鳥神様を
信じればよい
どびんごは
わからない
鳥神様のコトバも
人間神のコトバも
観念的に
生きる意味は
問わない
信じるものは
コトバではない
獅子ヨ
世界ヲ開ケ!
その瞬間
どびんごハ
感性デ飛ブ!
2014年3月28日金曜日
日本初のシュール シュルレアリスム Surréalisme Surrealism
日本の文学史上、初のシュルレアリスム宣言として知られる「A NOTE DECEMBER 1927」は、上田敏雄が起草し、北園克衛と上田保と連名で『薔薇・魔術・学説』に発表された。下記に引用する。
私自身は、「吾々の対象性の限界を規するのに Poetic Scientist の状態に類似を感ずる」という一文がひっかかる。Poetic Scientist? 面白い。私はMaster of Science である。科学、特に自然科学と詩学につながりを感じることはなかった。今は、超自然に挑む科学があるように、超現実に挑む詩学があるのはわかる気がする。
吾々は Surréalisme に於ての芸術欲望の発達あるひは知覚能力の発達を謳歌した我々に洗礼が来た 知覚の制限を受けずに知覚を通して材料を持ち来る技術を受けた 吾々は摂理に依る Poetic Operation を人間から分離せられた状態に於て組み立てる 此の状態は吾々に技術に似た無関心の感覚を覚えさせる 吾々の対象性の限界を規するのに Poetic Scientist の状態に類似を感ずる 吾々は憂鬱でもなく快活でもない 人間であることを必要としない人間の感覚は適度に厳格で冷静である 吾々は吾々の Poetic Operation を組み立てる際に吾々に適合した昂奮を感じる 吾々は Surréalisme を継続する 吾々は飽和の徳を讃美するKitasono Katue Ueda Toshio Ueda Tamotsu
私自身は、「吾々の対象性の限界を規するのに Poetic Scientist の状態に類似を感ずる」という一文がひっかかる。Poetic Scientist? 面白い。私はMaster of Science である。科学、特に自然科学と詩学につながりを感じることはなかった。今は、超自然に挑む科学があるように、超現実に挑む詩学があるのはわかる気がする。
2014年3月21日金曜日
上田敏雄の遺作 『「存在を問う」とは?』
春分の日、祝日、来たる3月30日の祖父上田敏雄の33回忌にむけて、祖父の筆跡を追っている。
2年前に私が手元に持っていた祖父の作品は母から借りていた詩誌の1つの作品だった。
それから叔母や家族の協力を得て、今では数百の作品名の情報と数十の原本に囲まれている。
今の今まで、『キリスト・リアリズムの演出 「啓示・リアリティ」の問題』(『1981、暦象』第96号)が祖父の遺作だと思っていた。祖父のことを調べ始めて最初の頃に読んだ『やまぐちの文学者たち』に、それが「最後のエッセイとなる」と記されていたからだ。
ところが、山口県詩人懇話会の代表の方が、今回あらためてまで調べてくださった結果を見ると、『「存在(リアリティ)を問う」とは?』(1981、『現代山口県詩選』)の方が約1ヶ月発刊日が遅い。調べてくださったのは昨年のことだが、実際に両作品の原本と発行日情報を見て、遺作は『「存在(リアリティ)を問う」とは?』なのだと私は今日明白に認識した。
発行年だけでは、どちらが後かわからないと思い、電話で発行月の確認をお願いしたところ、ご丁寧に発行月日を確認してくださった。本当にありがたい。ちなみに、その際に、他にも1982年に祖父が泣くなった後に発刊された追悼文に書かれていた内容が、現在に残る原本とは異なることも判明した。正確な情報を現在および後世に残したいと考える私からすれば、”重大事件”だった。
約30年で、人間が”事実”が何かを確認することは容易ではない。過去を調べる者は、今の私のようにヒヤっとしたり、また時には跳んで喜ぶような発見をしたような気分になるものなのだろう。
作品名はホームページに発行順に記載する。
2年前に私が手元に持っていた祖父の作品は母から借りていた詩誌の1つの作品だった。
それから叔母や家族の協力を得て、今では数百の作品名の情報と数十の原本に囲まれている。
今の今まで、『キリスト・リアリズムの演出 「啓示・リアリティ」の問題』(『1981、暦象』第96号)が祖父の遺作だと思っていた。祖父のことを調べ始めて最初の頃に読んだ『やまぐちの文学者たち』に、それが「最後のエッセイとなる」と記されていたからだ。
ところが、山口県詩人懇話会の代表の方が、今回あらためてまで調べてくださった結果を見ると、『「存在(リアリティ)を問う」とは?』(1981、『現代山口県詩選』)の方が約1ヶ月発刊日が遅い。調べてくださったのは昨年のことだが、実際に両作品の原本と発行日情報を見て、遺作は『「存在(リアリティ)を問う」とは?』なのだと私は今日明白に認識した。
発行年だけでは、どちらが後かわからないと思い、電話で発行月の確認をお願いしたところ、ご丁寧に発行月日を確認してくださった。本当にありがたい。ちなみに、その際に、他にも1982年に祖父が泣くなった後に発刊された追悼文に書かれていた内容が、現在に残る原本とは異なることも判明した。正確な情報を現在および後世に残したいと考える私からすれば、”重大事件”だった。
約30年で、人間が”事実”が何かを確認することは容易ではない。過去を調べる者は、今の私のようにヒヤっとしたり、また時には跳んで喜ぶような発見をしたような気分になるものなのだろう。
作品名はホームページに発行順に記載する。
2014年2月24日月曜日
詩の課題を解決することが天職
学校だよりという古い新聞記事の片隅に研究室訪問というコーナーがある。宇部高専が昭和41年(1965年)7月20日付けで発行した学校だよりで、上田敏雄教授に取材している。
「人生や文化に対して観念的に解決すべきものを感じます」。私は、まずこの一文をさらりと読みとばせない。「人生の持つ意義や意味を観念的に解決することは宗教による方法と文学による方法とがあるが、私は当時の詩の課題を解決することが天職であると信じてこの道に入りました。」 この文は、上田敏雄は宗教と文学で文学による方法を選び、詩の課題を解決することが天職であると信じたということだとわかる。つまり、そもそもは人生の持つ意義や意味を観念的に解決したいと思った、その手段が詩だったのだろうか?
さらに上田敏雄は言う、
現在インターネットや通信技術の進歩が人間社会と文化に与えている影響は大きく、「IT依存症」というコトバとともに私も危機感を感知している。そして、なにより、自分の生きる意味、自分の仕事の意味を自問するエンジニアが私のまわりにいる。「そのような危機感がどこからきているか、またどうやって解決するかを探る」時期だと思う。
この学校だよりの記事を書いた方、そして参考のため私に送付してくれた叔母に感謝します。
英語を専攻された理由は、「英語を専攻したと言うより、詩を研究する道具として、また生活の資を得る手段として英語を教えています。我々、文科系の者は人生や文化に対して観念的に解決すべきものを感じます人生の持つ意義や意味を観念的に解決するには宗教による方法と文学による方法とがあるが、私は当時の詩の課題を解決することが天職であると信じてこの道に入りました。当時の詩の課題というのは、いわゆる「近代詩」(藤村、白秋などの業績)に対して「現代詩」(西脇順三郎、北園克衛、村野四郎などの詩集)の基礎を固めることでした。語学はその道具として必要になったわけです」
「人生や文化に対して観念的に解決すべきものを感じます」。私は、まずこの一文をさらりと読みとばせない。「人生の持つ意義や意味を観念的に解決することは宗教による方法と文学による方法とがあるが、私は当時の詩の課題を解決することが天職であると信じてこの道に入りました。」 この文は、上田敏雄は宗教と文学で文学による方法を選び、詩の課題を解決することが天職であると信じたということだとわかる。つまり、そもそもは人生の持つ意義や意味を観念的に解決したいと思った、その手段が詩だったのだろうか?
さらに上田敏雄は言う、
「人間社会を構成するには、君たちの進む工学によって物質的エネルギーを豊富にすることが必要ですが、それだけではローマ帝国や今日のアメリカに見られるような危機感が文化の中に生まれてきます。そのような危機感がどこからきているか、またどうやって解決するかを探るには文学や宗教に取り組むことが必要になってきます。ところが、今の高専の教養科目は断片的でこのような能力のあるエンジニアを養成できるか疑問に思います。また、社会の期待にこたえられる幅広い人格を持った人間になる為にも、君たちが自分で教養を深めるよう望みます。」工学によって物質的エネルギーを豊富にすることに従事するエンジニアに、文化の中に生じてくる危機感をどう解決するか、宗教者や文学者とともに取り組むことが必要であることを理解し、そのような能力と幅広い人格を持とうとすることを期待しているということだろうか?
現在インターネットや通信技術の進歩が人間社会と文化に与えている影響は大きく、「IT依存症」というコトバとともに私も危機感を感知している。そして、なにより、自分の生きる意味、自分の仕事の意味を自問するエンジニアが私のまわりにいる。「そのような危機感がどこからきているか、またどうやって解決するかを探る」時期だと思う。
この学校だよりの記事を書いた方、そして参考のため私に送付してくれた叔母に感謝します。
2014年2月9日日曜日
鍵谷幸信の「沸騰詩人・上田敏雄」
鍵谷幸信氏の「沸騰詩人・上田敏雄」(『暦象』、1980年94号)は、私の好きなエッセイのひとつです。上田敏雄が発言した言葉そのままを引用し、人物像を上手に描写していると思います。
「ふーん、シュルレアリストも風邪をひくんだね、どんな風邪かな」 という、なにげない一言が私には面白いです。発言しているご本人はまわりを笑わすつもりはないと想像しますが、私にはそこがなんとなく祖父らしく感じるのか微笑ましいのです。
また、「敏雄氏がその日喋った唯一のわかるコトバであった。」と鍵谷氏が書いていることは、X軸もY軸もシュルレアリスムもエリオットもわからない私を安心させてくれます。
上田敏雄の詩やエッセイは、私の頭やリクツでわかろうとして読むとわかりませんが、上田敏雄の声で喋っているイメージで音読し、敏雄節というか、コトバの波、リズムのようなものに乗ることができると、面白かったりします。わかる、つまり理解するということと、感受するということは違います。絵画を鑑賞してわからなくても楽しめるように、私は沸騰詩人の喋ることがわからなくてもウフフと楽しめれば嬉しいです。
鍵谷幸信氏は、昭和三十二年秋ごろに上田敏雄が上京した際に、かってのシュルレアリスト、西脇順三郎、北園克衛、佐藤朔、三浦幸之助、上田保らが集結した際の様子を記述しています。いまどき1980年の『暦象』を見つけて読むのは容易ではないと思いますので、ほんの一部ですが引用します。
「朔君、ブルトンのシュルレアリスム第一宣言は何年だったかね」「一九二四年」と朔氏。君は相変わらず記憶力はいいな。昔とちっとも変わらん。
ところで西脇先生、あんたも偉くなったもんだ。超自然主義も立派だね。だがあんたはシュルレアリスムもエリオットもわかってるように書くけど、実はよくわからんのじゃないのかね」「敏雄君のようにはわからんよ、いやわからおうとも思わない」「いやカトリックとマルクスと実存主義のX軸とY軸がわからんで、エリオットもブルトンもないもんだ。そうでしょう西脇さん」「ちょっと待って」と西脇順三郎。「いや西脇君、それはまちがいだ」。それから「君」がとれて「西脇」と呼びすてになり、敏雄氏の舌鋒はますますゾリンゲンの刈刀状になっていった。メートル西脇もいささかたじろいで、前言とりけしをやったりしていた。あんな西脇さんの姿をぼくはかつて見たことがなかったし、それ以後もない。<略>
「ところで滝口が来てないがどうしたんかね」。滝口氏は風邪をひいて来れないという返事だった。「風邪かね。ふーん、シュルレアリストも風邪をひくんだね、どんな風邪かな、滝口がいないとつまらん、シュルレアリスムのほんとうのところは彼がいないとでけんよ。」この発言には全員が共鳴したようで、敏雄氏がその日喋った唯一のわかるコトバであった。北園、三浦の両氏は終始エッヘッへとかウフフとか笑い声を出して紅茶かなんか飲んでいた。その場の様子が目に浮かぶような鍵谷幸信氏の文章のおかげで、私も微笑んでしまいます。
「ふーん、シュルレアリストも風邪をひくんだね、どんな風邪かな」 という、なにげない一言が私には面白いです。発言しているご本人はまわりを笑わすつもりはないと想像しますが、私にはそこがなんとなく祖父らしく感じるのか微笑ましいのです。
また、「敏雄氏がその日喋った唯一のわかるコトバであった。」と鍵谷氏が書いていることは、X軸もY軸もシュルレアリスムもエリオットもわからない私を安心させてくれます。
上田敏雄の詩やエッセイは、私の頭やリクツでわかろうとして読むとわかりませんが、上田敏雄の声で喋っているイメージで音読し、敏雄節というか、コトバの波、リズムのようなものに乗ることができると、面白かったりします。わかる、つまり理解するということと、感受するということは違います。絵画を鑑賞してわからなくても楽しめるように、私は沸騰詩人の喋ることがわからなくてもウフフと楽しめれば嬉しいです。
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