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2019年3月16日土曜日

宇部高専の校歌誕生にまつわるエピソード


2019年は上田敏雄に関するイベントイヤーである。

公益財団法人山口県ひとづくり財団が1月から3月にかけて全3回の講座「山口のモダニスト上田敏雄」を開催中。また、4月から7月にかけては、中原中也記念館が「企画展 沸騰する精神ーー上田敏雄」を開催予定である。

私は山口県に何度も足を運ぶことは難しく、遠くから見守っている。

そんな折、ふと宇部高専のホームページを覗いてみたところ、アップデートされており、校歌の由来と校歌の誕生にまつわるエピソードが掲載されていた。

『世紀の花環 友よ担わん』には、世紀=時代から花を贈られるように努力する、そしてそれを友と共に担えるよう日々努力しなさい、との意が込められています。
え、そうなの?初耳である。やはり、意図を知ることができるのは嬉しい。

校歌を読み、最も違和感を感じたのは、2番の「男の子の生命 友よそそがん」。
高専の女子学生の割合も高くなっているはずであり、なんだか申し訳ない気持ちがする。

おじいちゃん、女の子も英語や科学技術を学びますよ、と伝えたくなる。

祖父は女子も勉学に励み自立することを奨励していたと聞いているが?
そもそもこの文章は、上田敏雄らしからぬようにも思える。

続けて「校歌の誕生にまつわるエピソード」ページを読むと、作詞途中の直筆原稿が掲載されており、最終的な歌詞とはかなり違うものである。
かつ「男の子の生命 友よそそがん」などと書かれてはいない。

上田先生の作品は、第1回の委員会の意見を十分に汲みとって大幅に手を加え装を新たにしたものになっていた。それはいわば原作を母体として教職員学生の英知を結集して練り上げられたものになっていたといえよう。
歌詞は上田敏雄が変えただけではなく、大勢の方の意見を結集したものだったようだ。

悩ましい作業だったことと想像するが、完成した際にはきっと嬉しかったであろう。




2014年1月14日火曜日

校歌作詞者・上田敏雄の資料展示中

上田敏雄は、山口大学退官後、昭和37年度に宇部工業高等専門学校教授に就任しました。

宇部高等専門学校の校歌は上田敏雄が作詞したものです。
平成25年11月8日(金)の新聞宇部日報(宇部日報社発行)によると、「校歌は67年の第1期生の卒業にあわせて公募が行われたもの」だそうです。

宇部高等専門学校がこのたび特設コーナーで展示している資料には、校歌作詞に関する直筆の書簡に加え、上田敏雄の詩人としての作品が含まれています。

上田敏雄は、校歌の作詞にあたり、山口大学での教え子である山本博信氏に助言を求めました。この度の展示に関して、企画されたスタッフの方、また説明資料の作成等をしてくださった山本さんにとても感謝しております。上田敏雄本人と面識のある方々が年々ご高齢になる中、資料の作成や展示会の実施そのものが、容易ではなかったと存じます。

山本さんが作成した資料「校歌作詞者・上田敏雄 ~日本で最初のシュールレアリスム詩人~」を拝読させて頂き、「上田先生の詩作品の解説」の欄に、「まさにシュールな詩であり、安易な解説など受け付けない。この展示では、したがって、いわゆる一般的な解説は断念して、読まれる方の自由なイメージにゆだねることにした。それこそがまさにシュールレアリスムの真骨頂だからである。あなたの豊かで自由な想念の羽ばたくままに、鑑賞なさってください。」と書かれていることに同感しました。

私が上田敏雄作品を読む際に、よくわからないため、ついついヒントとなるような解説があれば助かるのにと思いがちなのですが、自分で観想するものなのだとあらためて思いました。