ページ

2014年3月30日日曜日

異次元の獅子へ

今日は
虎も馬も
獅子を想う
どびんごは
獅子に問う

どびんごは
渡り鳥?
ニワトリ?
自然鳥?
人工鳥?

人間神を
信仰すればよい
毎日毎日
食べて寝れれば
それがなにより
それが生きること
感謝しなさい
そう言った
鳥神様を
信じればよい

どびんごは
わからない
鳥神様のコトバも
人間神のコトバも
観念的に
生きる意味は
問わない
信じるものは
コトバではない

獅子ヨ 
世界ヲ開ケ!
その瞬間
どびんごハ 
感性デ飛ブ!

2014年3月28日金曜日

日本初のシュール シュルレアリスム Surréalisme Surrealism

日本の文学史上、初のシュルレアリスム宣言として知られる「A NOTE DECEMBER 1927」は、上田敏雄が起草し、北園克衛と上田保と連名で『薔薇・魔術・学説』に発表された。下記に引用する。

吾々は Surréalisme に於ての芸術欲望の発達あるひは知覚能力の発達を謳歌した我々に洗礼が来た 知覚の制限を受けずに知覚を通して材料を持ち来る技術を受けた 吾々は摂理に依る Poetic Operation を人間から分離せられた状態に於て組み立てる 此の状態は吾々に技術に似た無関心の感覚を覚えさせる 吾々の対象性の限界を規するのに Poetic Scientist の状態に類似を感ずる 吾々は憂鬱でもなく快活でもない 人間であることを必要としない人間の感覚は適度に厳格で冷静である 吾々は吾々の Poetic Operation を組み立てる際に吾々に適合した昂奮を感じる 吾々は Surréalisme を継続する 吾々は飽和の徳を讃美する
        Kitasono Katue Ueda Toshio Ueda Tamotsu

私自身は、「吾々の対象性の限界を規するのに Poetic Scientist の状態に類似を感ずる」という一文がひっかかる。Poetic Scientist? 面白い。私はMaster of Science である。科学、特に自然科学と詩学につながりを感じることはなかった。今は、超自然に挑む科学があるように、超現実に挑む詩学があるのはわかる気がする。

2014年3月21日金曜日

上田敏雄の遺作 『「存在を問う」とは?』

春分の日、祝日、来たる3月30日の祖父上田敏雄の33回忌にむけて、祖父の筆跡を追っている。
2年前に私が手元に持っていた祖父の作品は母から借りていた詩誌の1つの作品だった。
それから叔母や家族の協力を得て、今では数百の作品名の情報と数十の原本に囲まれている。

今の今まで、『キリスト・リアリズムの演出 「啓示・リアリティ」の問題』(『1981、暦象』第96号)が祖父の遺作だと思っていた。祖父のことを調べ始めて最初の頃に読んだ『やまぐちの文学者たち』に、それが「最後のエッセイとなる」と記されていたからだ。

ところが、山口県詩人懇話会の代表の方が、今回あらためてまで調べてくださった結果を見ると、『「存在(リアリティ)を問う」とは?』(1981、『現代山口県詩選』)の方が約1ヶ月発刊日が遅い。調べてくださったのは昨年のことだが、実際に両作品の原本と発行日情報を見て、遺作は『「存在(リアリティ)を問う」とは?』なのだと私は今日明白に認識した。

発行年だけでは、どちらが後かわからないと思い、電話で発行月の確認をお願いしたところ、ご丁寧に発行月日を確認してくださった。本当にありがたい。ちなみに、その際に、他にも1982年に祖父が泣くなった後に発刊された追悼文に書かれていた内容が、現在に残る原本とは異なることも判明した。正確な情報を現在および後世に残したいと考える私からすれば、”重大事件”だった。

約30年で、人間が”事実”が何かを確認することは容易ではない。過去を調べる者は、今の私のようにヒヤっとしたり、また時には跳んで喜ぶような発見をしたような気分になるものなのだろう。

作品名はホームページに発行順に記載する。