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2014年3月28日金曜日

日本初のシュール シュルレアリスム Surréalisme Surrealism

日本の文学史上、初のシュルレアリスム宣言として知られる「A NOTE DECEMBER 1927」は、上田敏雄が起草し、北園克衛と上田保と連名で『薔薇・魔術・学説』に発表された。下記に引用する。

吾々は Surréalisme に於ての芸術欲望の発達あるひは知覚能力の発達を謳歌した我々に洗礼が来た 知覚の制限を受けずに知覚を通して材料を持ち来る技術を受けた 吾々は摂理に依る Poetic Operation を人間から分離せられた状態に於て組み立てる 此の状態は吾々に技術に似た無関心の感覚を覚えさせる 吾々の対象性の限界を規するのに Poetic Scientist の状態に類似を感ずる 吾々は憂鬱でもなく快活でもない 人間であることを必要としない人間の感覚は適度に厳格で冷静である 吾々は吾々の Poetic Operation を組み立てる際に吾々に適合した昂奮を感じる 吾々は Surréalisme を継続する 吾々は飽和の徳を讃美する
        Kitasono Katue Ueda Toshio Ueda Tamotsu

私自身は、「吾々の対象性の限界を規するのに Poetic Scientist の状態に類似を感ずる」という一文がひっかかる。Poetic Scientist? 面白い。私はMaster of Science である。科学、特に自然科学と詩学につながりを感じることはなかった。今は、超自然に挑む科学があるように、超現実に挑む詩学があるのはわかる気がする。

2014年1月21日火曜日

永遠のアバンギャルディスト

上田敏雄が日本の辞典でどのように記載されているかを読んでみました。

1986年の『日本近代文学大辞典』(講談社)から一部引用します。

永遠のアバンギャルディストとして晩年にいたるまで、詩と思想の『仮説の運動』(昭四・五 厚生閣書店)を展開。ユニークな詩的行動の背景には、つねに仏教、カトリシズム、マルキシズムへの主体的関心が生動している。とくに昭和前期の超現実主義運動の輝ける旗手として注目された。戦後も、「DEMAIN」(昭二七)を創刊。前衛詩人協会に参加するなど、独自のネオ・超現実主義を提唱した。
同1986年の『日本現代史辞典』(桜楓社)から一部下記に引用します。
日本における最初のシュールレアリスム宣言を、「薔薇魔術学説」の(昭三・一)に発表。超現実主義の旗手として、「衣裳の太陽」「詩と詩論」などで活躍。「文芸都市」「文芸レビュー」「文学」にも関係。戦後も前衛詩人協会に参加。仏教・カトリシズム・マルキシズムを主体的に止揚して、独自の、ネオ=超現実主義を提唱。
私の感想としては、上田敏雄の研究をした方が、限られた文字内で使った言葉として、永遠のアバンギャルディストという表現の仕方が素敵だと思いました。また、超現実主義運動の輝ける旗手、独自のネオ・超現実主義を提唱というまとめ方もみごとだと思いました。

上田敏雄が学生時代に書いた詩に着目したのは萩原朔太郎。「冬」という短い詩に、モダニズム詩の芽のようなものが感じとれたのでしょうか?そこから上田敏雄はフランスのシュールレアリスム詩運動に触れます。そして、日本における最初のシュールレアリスム宣言を北園克衛と上田保(実弟)と発表したわけですが、フランスのブルトンらの運動に賛同しながらも、同じものを継承するのではなくブルトンとは違うものを創造する立場に立っていたことに私は注目すべきだと思います。実際に、上田敏雄は、『仮説の運動』で、ブルトンとは異なる詩論を提唱することを明白にしています。上田敏雄というと、一般的にはシュールレアリスム宣言をしたシュールレアリストだという知識で『仮説の運動』もいわゆるフランスのシュールレアリスムと類似したものなのかしらと思われる方がいらっしゃるかと思いますが、是非同じではなく違うという点に着目していただければと思います。の後も、上田敏雄は自らの仮説の詩論とその芸術論を変革していきました。後年の上田敏雄から中野嘉一への書簡によれば、上田敏雄は「芸術に対する考え方が、芸術の世界に autonomous メカニズムがみとめられているという考え方から外部から世界内への概念の導入なしに芸術の世界は成立しないだろうという考え方に変化した」と述べています。それが、仏教・カトリシズム・マルキシズムを主体的に止揚して独自のネオ=超現実主義を提唱することにつながっていきます。上田敏雄は、自らの詩論に満足せず、周囲がその斬新さに賛同または批判している間にも、自らの詩論を変化させていったように私は想像しています。したがって、永遠のアバンギャルディストという表現が私にはしっくりと響きます。

この度とりあげた上記辞典で上田敏雄欄を担当された方は千葉宣一氏です。千葉宣一氏に興味を持ちインターネットで検索してみたところ、北海学園学術情報リポジトリで名前を見つけることができました。そしてそこには2010年7月31日付け論文「日仏文学交流史の研究」が掲載されており、ポール・エリュアールの解説として日本では昭和二年五月『文芸耽美』に上田敏雄により紹介されたと記されていました。また新たな情報を発掘した気分になり嬉しいです。千葉宣一氏のような専門家がいらっしゃることをありがたいと思います。

2014年1月14日火曜日

校歌作詞者・上田敏雄の資料展示中

上田敏雄は、山口大学退官後、昭和37年度に宇部工業高等専門学校教授に就任しました。

宇部高等専門学校の校歌は上田敏雄が作詞したものです。
平成25年11月8日(金)の新聞宇部日報(宇部日報社発行)によると、「校歌は67年の第1期生の卒業にあわせて公募が行われたもの」だそうです。

宇部高等専門学校がこのたび特設コーナーで展示している資料には、校歌作詞に関する直筆の書簡に加え、上田敏雄の詩人としての作品が含まれています。

上田敏雄は、校歌の作詞にあたり、山口大学での教え子である山本博信氏に助言を求めました。この度の展示に関して、企画されたスタッフの方、また説明資料の作成等をしてくださった山本さんにとても感謝しております。上田敏雄本人と面識のある方々が年々ご高齢になる中、資料の作成や展示会の実施そのものが、容易ではなかったと存じます。

山本さんが作成した資料「校歌作詞者・上田敏雄 ~日本で最初のシュールレアリスム詩人~」を拝読させて頂き、「上田先生の詩作品の解説」の欄に、「まさにシュールな詩であり、安易な解説など受け付けない。この展示では、したがって、いわゆる一般的な解説は断念して、読まれる方の自由なイメージにゆだねることにした。それこそがまさにシュールレアリスムの真骨頂だからである。あなたの豊かで自由な想念の羽ばたくままに、鑑賞なさってください。」と書かれていることに同感しました。

私が上田敏雄作品を読む際に、よくわからないため、ついついヒントとなるような解説があれば助かるのにと思いがちなのですが、自分で観想するものなのだとあらためて思いました。