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2014年1月21日火曜日

永遠のアバンギャルディスト

上田敏雄が日本の辞典でどのように記載されているかを読んでみました。

1986年の『日本近代文学大辞典』(講談社)から一部引用します。

永遠のアバンギャルディストとして晩年にいたるまで、詩と思想の『仮説の運動』(昭四・五 厚生閣書店)を展開。ユニークな詩的行動の背景には、つねに仏教、カトリシズム、マルキシズムへの主体的関心が生動している。とくに昭和前期の超現実主義運動の輝ける旗手として注目された。戦後も、「DEMAIN」(昭二七)を創刊。前衛詩人協会に参加するなど、独自のネオ・超現実主義を提唱した。
同1986年の『日本現代史辞典』(桜楓社)から一部下記に引用します。
日本における最初のシュールレアリスム宣言を、「薔薇魔術学説」の(昭三・一)に発表。超現実主義の旗手として、「衣裳の太陽」「詩と詩論」などで活躍。「文芸都市」「文芸レビュー」「文学」にも関係。戦後も前衛詩人協会に参加。仏教・カトリシズム・マルキシズムを主体的に止揚して、独自の、ネオ=超現実主義を提唱。
私の感想としては、上田敏雄の研究をした方が、限られた文字内で使った言葉として、永遠のアバンギャルディストという表現の仕方が素敵だと思いました。また、超現実主義運動の輝ける旗手、独自のネオ・超現実主義を提唱というまとめ方もみごとだと思いました。

上田敏雄が学生時代に書いた詩に着目したのは萩原朔太郎。「冬」という短い詩に、モダニズム詩の芽のようなものが感じとれたのでしょうか?そこから上田敏雄はフランスのシュールレアリスム詩運動に触れます。そして、日本における最初のシュールレアリスム宣言を北園克衛と上田保(実弟)と発表したわけですが、フランスのブルトンらの運動に賛同しながらも、同じものを継承するのではなくブルトンとは違うものを創造する立場に立っていたことに私は注目すべきだと思います。実際に、上田敏雄は、『仮説の運動』で、ブルトンとは異なる詩論を提唱することを明白にしています。上田敏雄というと、一般的にはシュールレアリスム宣言をしたシュールレアリストだという知識で『仮説の運動』もいわゆるフランスのシュールレアリスムと類似したものなのかしらと思われる方がいらっしゃるかと思いますが、是非同じではなく違うという点に着目していただければと思います。の後も、上田敏雄は自らの仮説の詩論とその芸術論を変革していきました。後年の上田敏雄から中野嘉一への書簡によれば、上田敏雄は「芸術に対する考え方が、芸術の世界に autonomous メカニズムがみとめられているという考え方から外部から世界内への概念の導入なしに芸術の世界は成立しないだろうという考え方に変化した」と述べています。それが、仏教・カトリシズム・マルキシズムを主体的に止揚して独自のネオ=超現実主義を提唱することにつながっていきます。上田敏雄は、自らの詩論に満足せず、周囲がその斬新さに賛同または批判している間にも、自らの詩論を変化させていったように私は想像しています。したがって、永遠のアバンギャルディストという表現が私にはしっくりと響きます。

この度とりあげた上記辞典で上田敏雄欄を担当された方は千葉宣一氏です。千葉宣一氏に興味を持ちインターネットで検索してみたところ、北海学園学術情報リポジトリで名前を見つけることができました。そしてそこには2010年7月31日付け論文「日仏文学交流史の研究」が掲載されており、ポール・エリュアールの解説として日本では昭和二年五月『文芸耽美』に上田敏雄により紹介されたと記されていました。また新たな情報を発掘した気分になり嬉しいです。千葉宣一氏のような専門家がいらっしゃることをありがたいと思います。

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