記録によれば、1927年、上田敏雄が大学を卒業して間もなくの頃、『文芸耽美』に出したもの。
おじいちゃん、今の時代でも作品を読んでいてくれる人がいて良かったね。
原君、君はわざわざ病身の身体を動かして、僕を二度も訪ねて来て、「神について」六枚書けと頼んだのだから、どうしても書きたいのだが、この問題ばかりは、避けたいのだ。それは僕は弱い人間で、この問題は僕には大きすぎる。そして約二枚執筆。
"Jesus Christ!"といふ若い女のいとも朗らかな叫び声の中に、現代の神が象徴されている。神の姿なぞ誰の頭の中にも宿っていやしない。あるのはただ浮薄な言葉ばかりだ。
詩人の官能の中に、神は神として来ない。絶望の火として来るこの雷の足跡には、併し、 実に神の臭がする。私は文学作品を詩人のInventionであるとする立場をとらない。文学の組織を神のInventionに依る、神のdeviceに依るとする立場の方を好む。詩人は神の創立経営指導する工場の労働者であってよいと思ふ。従って、文学の中心は不変で進歩を欠いていてよいと思ふ。
神とするのは、処女マリアより生れ、十字架にかかり、三日にして甦り給ふた神の子イエスクリストである。諸氏は、詩人としてこれは妙な趣味ではないかと尋ねられるかも知れない。果して、さうだらうかと、僕は反問したい。この際諸氏が些か滑稽味を覚えられるなら、それは諸氏の神観念が滑稽であるに過ぎぬのではあるまいか。僕の意見としては、これはこの世で一番辛い胡椒であると思ふ。原さんという人が西脇順三郎に六枚依頼したようなので、上田敏雄は西脇順三郎に声をかけられて応じたのだろうか。
雨が街路樹をかむカニの鋏
そして告白したい女である光線がしゃべり出す
日本語は孤独なビルの階段を
ダチョウなどよりも早く駆けおりて
東京の夜の内部に出没するモーターカーたちに明滅し
ぼくらのリヴィング・ルームの窓ガラスをぶちこわして
父の花束をほうりこむのだ
<引用終>
「我々はだれもが皆科学者たることは望み得ない。しかし人間たる以上誰でも芸術家であることを許されている。芸術家といっても、画家とか、彫刻家、音楽家、詩人というように特殊な芸術家を指して言うのではない。”生きているということの芸術家”(artist of life)なのである。”生きることの芸術家”などと言えば、一寸何か変にきこえるかもしれないが、実際のところ、我々は皆、”生きることの芸術家”として生れてきているわけである。ただ悲しいかな、我々のほとんどは、生きていることそのことがすごいARTであることを知らず、ついに、”人生、生きることの意味とはなんだろう” ”眼の前にあるものは無意味なタダの空虚ではないか”などとあさましい妄想にふけってはあたら一生を台なしにしてしまうのがオチです。」
いつもながらきびきびした先生の独断場であるジカに物の核心にせまる例の調子にあおられましたか、当時、小生も、「貧者の一灯に点じる人生の芸術」の実体を作曲化せんとする身の程知らずに、うつつを抜かしながら、焦心のうちに幾日かを過した苦い思い出があります。鈴木大拙という名は、他のエッセイ「歌のこころ」にも出てくる。
ご存知の鈴木大拙さんが、「禅というものは地獄の野っ原のただ中で、大の字に寝そべるようなものだ」といわれたという話があります。これはもちろん不貞腐されているわけでなく、禅と念仏とでは性分の合わぬところもあろうが、親らんの他力の教えにも、地獄をそのままで極楽に転換するという仕掛けができています。鈴木大拙氏の著作を読んでみたいと思う。
作者の力量不足のお蔭で、結局「点火失敗」の幕切れということになりましたものの、もしも上記の「灯の主題」の音楽化に、当時、成功していましたら、ジョン・ケージと前衛音楽賞をわけあう幸運が舞いこんだものをと、滑稽にも、今でもいちまつの心残りを棄て得ないのです。とエッセイをまとめており、おもしろい。