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2015年5月17日日曜日

上田敏雄の著作リスト追加

上田敏雄の著作に関する貴重な情報をいただきました。特に、下記のご指摘により作品名を正すことができました。ありがとうございます。
「孤独或は死後の夢想」『花卉幻想』3年1号(昭和4年1月)
※当該『花卉幻想』の目次は誤っています。目次上は「胸像の仮面」が上田敏雄となっていますが、本文を見るとこれは山田一彦の小説。上記タイトルが上田敏雄の詩作品です。
 「詩人のページに著作一覧は必須」という叔母の発言はごもっともなので着手はしたものの、ここ何ヶ月も放置していたところ。

叔母からY先生が上田敏雄の作品集を出したいというようなことをおっしゃっていたが、ご高齢のため作業困難と聞いたのは昨年のこと。

率直なところ、実現困難。疎開する際に多くの本を処分せざるを得ず、戦争で東京の家は消失したこともあり、戦前の作品は上田家にもあまりないとのこと。

でも、北園克衛の初期作品集を作ろうと古い詩誌を調査している方がいると知ったことで、私も少しづつでもやってみようとやる気が出た。(今日のところは)

上田敏雄は子孫が全作品を列挙できるなど思いもせず笑い飛ばす気がするので気楽にやろう。
できるところまででも、いつかどこかのどなたかの参考になる日があれば未来につながる作業だ。

*下記に頂いた情報を共有しておきます*

192608 「化粧屋の監視兵」『戦車(甲栄社版)』1巻2号(大正15年8月)
192610 「三部作」『詩歌時代』1巻6号(大正15年10月)
192704 「形而上学」『文芸耽美』2年3号(昭和2年4月)
192704 「後期芸術派作品」『文芸』5巻4号(昭和2年4月)
192705 「希臘の時計」『新年』9号(昭和2年5月)
192706 「天使集」『街』7輯(昭和2年6月)
192707 「菫と動物」『新年』10号(昭和2年7月)
192804 「POEM POUR NATURE」『黄表紙』2巻3号(昭和3年4月)
192807 「L'ELEGANT/L'ENCLUME DES FORCES」 『黄表紙』2巻4号(昭和3年7月)
192901 「孤独或は死後の夢想」『花卉幻想』3年1号(昭和4年1月)
192906 「裂かれた森を貝殻の脳髄が梳いた」『ファンタジア』1輯(昭和4年6月)
192906 「Rien ou prince d anto cratie」『文芸都市』(昭和4年6月)
192907 「COGNITION NOVELLE?」『Cine』4号(昭和4年7月)
192910 「LE SOURIRE SEDUISANT」『Cine』5号(昭和4年10月)
192911 「天主に世界の滅亡を告ぐ」『文学(第一書房版)』2号(昭和4年11月)
193001 「超現実主義の概説」『国民新聞』(昭和5年1月13日)
193003 「ABSOLUITE DE L'ART」 『文学』6号(昭和5年3月)
195107 「僕らを」『尖塔』2号(1951年7月)
195111 「此狼の群」『尖塔』3号(1951年11月)
195203 「一本の針金で…」『尖塔』5号(1952年3月)
195210 「明るい星よ…」『尖塔』8号(1952年10月)
195310 「雨の東京」『尖塔』9号(1953年10月)
195402 「耳寄りな話」『尖塔』11号(1954年2月)
195403 「自転車」『尖塔』12号(1954年3月)
195404 「雨の宣告」『尖塔』13号(1954年4月)
195405 「鰐」『尖塔』14号(1954年5月)
195406 「桃あるいはぼろの機械類」『尖塔』15号(1954年6月)
195407 「玩具の鳥」『尖塔』16号(1954年7月)
195408 「野師」『尖塔』17号(1954年8月)
195409 「★」『尖塔』18号(1954年9月)
195410 「南泉説法」『尖塔』19号(1954年10月)
195412 「ほしがあらわれた?」『尖塔』21号(1954年12月)
195503 「不評判な大陸」(評論)『尖塔』22号(1955年3月)
195506 「禅問答」(評論)『尖塔』23号(1955年6月)
197307 「虎が森のなかを歩く」『詩と思想』2巻7号(1973年7月)
197511 「ECRITURE」『舟』2号(1975年11月)

以上

2015年4月1日水曜日

詩人の腸内細菌

腸内細菌は今日も歌う
何のために生きて死ぬのか

我々の宇宙に
生死を握る神は果たしているのか

かしこい諸君はおわかりのはず
答えはYes & No

餌をあげるか否か
握っているのは人間様

日々細菌がバトルして死ぬのは
人間様のアウトオブコントロール

かしこい諸君はおわかりのはず
答えはYes & No

餌をあげるか否か
握っているのは神様

日々人間がバトルして死ぬのは
神様のアウトオブコントロール

詩人は今日も歌う

何のために生きて死ぬのか

詩人の腸内細菌が全滅しても
詩人は歌うだろうか


どびんご

2015年1月16日金曜日

「神秘説」 『文芸耽美』より

インターネットをブラウジングしていたらTwitterで見つけた。

記録によれば、1927年、上田敏雄が大学を卒業して間もなくの頃、『文芸耽美』に出したもの。

おじいちゃん、今の時代でも作品を読んでいてくれる人がいて良かったね。


2014年12月30日火曜日

作品を読んでみようトライアル掲載実施中

ホリデイに読書はいかが?興味のある方はクリック↓
https://sites.google.com/site/toshioueda1900/works/published


好評なら時々作品を掲載しようかな

2014年11月28日金曜日

白髪のピストル 上田敏雄 1964 『現代山口県詩選』

白髪のピストル

~聖霊はヨセフのピストルを使用する~

8個のランプをもちたまえ
男をおくるために
階段を



彼女は
海へ
愛人を投げすてる
自由を蛸らにと
祈るのだ

自由のために海は燃えるだろう

8個のピストルをぶらさげる兵士は
至上命令のために行動する
永遠に
1羽の鳥を撃て
と神は命じている

諸君はそれを疑っていない
万国の労働者
諸君は撃つだろう

街上のピストルの騒音

なぜなら
この西部劇を愛さない
神は
オートモビールで
スクリーンを消えたまえ

8個のドラムをたたく人間

短かく 短かく
シッポを刈り込むサルたち
キリスト教徒より神の顔をよく見る
SPECTACLES
を愛用したまえ諸君は

(ルーレットをころがれ
君(FICTION)
1個の球よ)

見給え

消燈した爬虫類である
8個の自動車の吼える言語を
くいあらす
荒野の新しい兵器をv

イエス・キリストは攻撃する
散弾の手段で
POETASTERを 諸君を

Oct. 8, 1959
それは民衆の祈りの物質である
8個のピストルと8個の角砂糖
OASISの食卓に等しい

十字架のプレゼント
世界内にコンバートする黒猫
をおくるミリオネヤは神だろうか.



引用終


楽しみました?






なんで8?
Oct.8 って?
オクトパ?
オクトパス?
自由を蛸らにと



2014年11月23日日曜日

「神について」 『三田文学』 より

 上田敏雄はなぜ神を詩作にとりいれるようになったのだろうか?

 上田敏雄の作品の調査を始め一覧にしてみてわかったことがある。

 「神」が出てくるのは1948年11月戦後初めて『三田文学』に発表された「主は働き給ふ」である。

 そしてその3ヶ月後、『三田文学』に「神について」を書いている。

 西脇順三郎、山本健吉、上田敏雄が「神について」という題で記した文章の始まりを引用する。

 まず西脇順三郎は、

 原君、君はわざわざ病身の身体を動かして、僕を二度も訪ねて来て、「神について」六枚書けと頼んだのだから、どうしても書きたいのだが、この問題ばかりは、避けたいのだ。それは僕は弱い人間で、この問題は僕には大きすぎる。
そして約二枚執筆。

 次に山本健吉は、
 "Jesus Christ!"といふ若い女のいとも朗らかな叫び声の中に、現代の神が象徴されている。神の姿なぞ誰の頭の中にも宿っていやしない。あるのはただ浮薄な言葉ばかりだ。

 そして最後に上田敏雄は、

 詩人の官能の中に、神は神として来ない。絶望の火として来るこの雷の足跡には、併し、 実に神の臭がする。私は文学作品を詩人のInventionであるとする立場をとらない。文学の組織を神のInventionに依る、神のdeviceに依るとする立場の方を好む。詩人は神の創立経営指導する工場の労働者であってよいと思ふ。従って、文学の中心は不変で進歩を欠いていてよいと思ふ。
  神とするのは、処女マリアより生れ、十字架にかかり、三日にして甦り給ふた神の子イエスクリストである。諸氏は、詩人としてこれは妙な趣味ではないかと尋ねられるかも知れない。果して、さうだらうかと、僕は反問したい。この際諸氏が些か滑稽味を覚えられるなら、それは諸氏の神観念が滑稽であるに過ぎぬのではあるまいか。僕の意見としては、これはこの世で一番辛い胡椒であると思ふ。
 原さんという人が西脇順三郎に六枚依頼したようなので、上田敏雄は西脇順三郎に声をかけられて応じたのだろうか。

 いずれにしろ、芸術の自律的なメカニズムを認める立場から、カトリシズム・仏教思想等の外部からの概念導入なしに芸術世界の成立はないという立場に変化したのは、戦後からのようである。

 鶴岡善久は、上田敏雄の追悼号である『歴象98号』に「上田敏雄の戦中戦後」というエッセイで「上田敏雄はいわゆる戦争詩を一篇も書かなかった。これはきわめて重要なことである。」と記している。また「戦前の「仮説の運動」と戦後しばらくしてからのドグマ的カトリシズムの時代にはさまれた、上田敏雄の戦中戦後は今後もっと真剣に考えてみなければならない問題を内包しているようにぼくには思われる。」とも記している。

 第二次世界大戦が上田敏雄に影響を与えたと想像するのは難しくない。東京の空襲を経験し、家は大空襲で消失。戦争で兄弟と甥を失った。

 上田敏雄はキリスト教や仏教に関する多くの書物を読んでいる。戦争の経験から、キリスト教を研究するようにいたったのだろうか?

 辛い体験をした人が、宗教に入信するということは耳にする。しかし、上田敏雄の「神について」の文章を読む限り、いわゆる信者が述べそうなこととは異なり、一歩ひいた立場で思考を組み立てながら執筆している様子がうかがえる。

 上田敏雄は書いている。「この際諸氏が些か滑稽味を覚えられるなら、それは諸氏の神観念が滑稽であるに過ぎぬのではあるまいか。」 私は、滑稽だと思った一人である。上田敏雄が「この世で一番辛い胡椒」にどうアプローチしていくのか、続きを読んでみたくなった。

2014年9月9日火曜日

敏雄節  <雨が街路樹をかむカニの鋏>

    <引用始>
雨が街路樹をかむカニの鋏
そして告白したい女である光線がしゃべり出す
日本語は孤独なビルの階段を
ダチョウなどよりも早く駆けおりて
東京の夜の内部に出没するモーターカーたちに明滅し
ぼくらのリヴィング・ルームの窓ガラスをぶちこわして
父の花束をほうりこむのだ
<引用終>

パラフィン紙に包まれた蒼い表紙を開くとワインレッド
上田敏雄の詩集『薔薇物語』をぱらぱらとめくる

引用したのは62ページの一部
「讃美歌のためのアルゴ」の一部

この詩の「父」は誰をさしているでしょう?「アルゴ」って何でしょう?
ナンテことよりも

祖父の書いた文を読むと感じる独特のリズムが好き
敏雄節!


<雨が街路樹をかむカニの鋏>
<そして告白したい女である光線がしゃべり出す>

シャレている
こんな文は私の頭から出てこない

祖父が「神学の概念の詩学への導入」を試みたから
キリスト教のカトリックに挑んだから

もともと神学から距離を置いて生きてきた私は
祖父の『薔薇物語』には近づきがたい

それでもなんだか時々読んでしまうのは
カニの鋏やダチョウのおかげ♪